ポニーテールと守株

お久しぶりです。二外がなんとか耐えそうな者です。テスト期間は受験期なみの集中力で乗り切りました。こんなに必死に勉強したの久しぶりすぎて体も脳みそも疲弊してしまいました。受験生時代はよくもまああんな熱意を持って長期的にがむしゃらに勉強できたものだなあと我ながら感心します。

数学以外あんまり出てなかったので周りにノートを見せてもらいながら教えてもらいながら必死に勉強しました。そんなわけでテスト期間に、大学生活で必要なのは人脈だ、という誰かしらの呟いていた言葉の意味をよくよく噛みしめました。実際周りの助けなしには微積以外とれる単位ありませんでしたからね。英語だって、英語のある日は朝友人に起こしてもらっていましたから。まあ起こしてもらっておきながら単位落としたんですけどね!

 

 

実は今回のブログはタイトルが先に浮かび上がってきてそれに記事を付け加える形になりました。なんでこんなフレーズ思いついたんでしょうね?まあ閃きはなんの前触れもなく突如訪れるってことなんでしょうか。ポアンカレも馬車に乗り込んだその瞬間にフックス関数を見つけたと言われているくらいですからね。…

 

ポニーテールについては、この記事を細書に書き始めていた頃(7月末)にはなんのネタのなかったのですが最近話題ですね。うなじが男子中学生の劣情を誘うとかでポニーテール禁止だそうで。初めこれを取り沙汰した記事読んだとき失笑してしまいました。ぼくは未成年期は分別を身につける期間だと思っているのでその点では何かを禁止することは(殺人など余程のことでない限り)ナンセンスだと考えているからです。思春期その他多感な時期に抑制された感情や衝動が"大人"になってから爆発したらどうするんですか?「気持ち悪い少女アニメオタクにうちの息子はなってほしくないから」と子供の頃から純文学のみを与えられて育った子が、そのまま社会人になって時間とお金に余裕ができ自立した途端にそれら美少女アニメの魅力に気づきハマって所謂いい歳したオタクになってしまうなんてパターンがあるだろうことは想像にかたくないです。旺盛な時期は自制を覚えなくてはならないのでむやみやたらに劣情を誘うものを禁止してはいけないのです。そもそもなんでポニテ禁止やねん!完全に取り決めた大人の趣味でしょ!まあ校則でポニテ禁止に踏み込むような歪んだ性癖をもたないためにもポニテは禁止してはいけませんね。

 

 

守株については、まあ一応これが今回のメインテーマなんですけど、これはぼくが行き詰まったときの方法論の転換として真っ先に考えることです。とかく失敗する人は守株の姿勢をとっていると思いませんか?昔成果の伸びた勉強法や練習法を意固地に守る人、同じミスを繰り返してしまうにも関わらずいつまでも手法を変えない人、過去の成功にしがみつく人、…。株守の人は失敗するというよりかはその対偶、成功する人は手を変え品を変えるといったほうがわかりやすいかもしれません。例えばオリエンタルラジオは、これはぼくの最も好きなコンビのひとつなんですが、結成から今に至る十年余の間ありとあらゆる策を弄して売れつづけています。フツー一斉を風靡したリズムネタ芸人なんて一年そこらで消えて戻ってこないですからね。十年後に最前線で活躍する一発屋って圧巻ですよね。あっちゃんだけに。なんつって。

彼らの最も崇め奉られるべき点はその深い深い自己分析と努力量だと思います。自分たちは何が向いてて何が向いていないのか?これを考えてネタに取り入れる力とそのネタを一所懸命に磨き上げるのがものすごく上手いんじゃないかと尊敬しています。お笑いコンビなのに漫才諦めてますからね。たしかにオリラジの漫才はおもしろくないです。漫才ではなくてあの独特の世界観、あっちゃんを神格化してひたすらかっこつける半ばエキゾチックな雰囲気が自分たちに向いてるって分析して事実その通りにした新ネタはウケてますから。PERFECT HUMANはその集大成だと思ってます。あれ笑わせる気ゼロですからね。それでも一番オリラジらしくて"おもしろい"ネタだとぼくは思います。あとは努力家だってことは本当に強みですよね。ラッスンゴレライのモノマネ相当練習したんでしょうね。リズムとか諸々完璧ですからね。藤森はフルマラソンもやってて三時間切れそうだとか。これ相当速いんですよ。ふつう四時間切れたらかなり喜びますから。中田も慶應ですからね…。

 

 

 

 

 

散々1つの方法に取り憑かれることを批判しておいて、ではあるんですけどもちろん自分と自分のとっているやり方を信じて突き進むこともめちゃくちゃ大事ですよ。コロコロとあれやったりこれやったりしては身につかないですし。転がる石には苔は生えず。つまりは努力は概ね2つのステップを繰り返すことで、ひとつが方法を模索すること、もうひとつはその方法を信じてやり抜くことです。どちらかひとつのステップに留まると失敗します。前者に残っては苔が生じず、後者に留まっては株を守ることになります。まあぼくのこの持論自体もいつか変わるんでしょうけど。

 

 

 

以上です。いまテスト期間と体調不良期間に完全に放置した自室の汚れ乱れがピークなので部屋を掃除します。サヨナラ

蛙、山椒魚

 井の中の蛙大海を知らず。

 井戸から出てこない蛙は外の世界を全く知らないので自分が一番だと思い込み、狭い世界で威張り散らしている様を揶揄した諺だ。

 あなたはこの諺の蛙を馬鹿だと考えるだろうか?外に自分より強い奴がたくさんいるのを知らないで自分の強さを過信する蛙を愚かだと見下すだろうか。

 

 もしそうなら考えを改めた方がいいかもしれない。あなただって井の中に囚われているかもしれないから。考えの狭まった人は往々にして他人を蔑む。賢いと自分で考えている人ほど無知をけなす。他人を見下すのはずばり自分が優位だと潜在的に考えているからであり、それは自分が狭い世界で弱い者に目を向けすぎている証拠に他ならないからだ。謙虚になるのは非常に難しく僕だって驕り高ぶっている自覚は多分にある。僕らは蛙を蔑む前に自らがその蛙である可能性を常に頭に留めなくてはならないのだ。

 

 

 その意味で、自分を広い海に放ってくれる学問は素晴らしく有意義な営みに思われる。学問において先人の偉大な知恵を取り込み、咀嚼し、自分のモノにする過程で僕らは大海に放り投げられる。先人に較べ自分はなんて間抜けで醜いものか!自分には到底書けそうにない文を読んだときや突拍子もない発想を下敷きに書かれた証明に面食らった記憶は多かれ少なかれあることだろう。そういった偉人の存在や彼らの遺した知識を学び、それを自分のものにする最中で僕らは真に強く賢くなるのだ。

 この過程を省いたり怠けたりするとどうなるか。僕は、これをさぼった者はその頭が肥大化すると考える。自分の持論が頭の中で育ちすぎ、肥え太って井の外へ出るのを邪魔すると思う。これはむしろ学問によってのみ頭の肥大化を食い止められると言ったほうが正確かもしれない。大体持論に溺れているのは楽しく心地よいものなので、世の万物が安定な方向へ向かっていくように僕らの頭は放っておくと肥大化する。そうなるともう僕らは抜け出せない。或る山椒魚は二年ほど岩屋でくつろいでいたせいで頭が肥え太ってしまって岩屋から抜け出せなくなってしまい、狭い岩屋に閉じ込められ鬱々とした日々を送るうちに性格が醜く歪んで言ったという。いくらその岩屋の居心地が良いからと言って、いつまでもそこで怠けていたら取り返しのつかないことになるのだ。

 

 それでは肥大化しそうな脳みそをどうやってダイエットしようか?間違っても食事を減らして減量しようなどと早とちりしてはいけない。何も考えないようにすれば確かに肥大化は防げるかもしれないが頭が豆粒ほどしかない鳥人間になってしまう。これはいけない。しっかり筋トレしてスマートな体型(脳型?)にしなくてはいけない。この筋トレに当たるのが学問だと僕は考えている。本を読む。定理の証明を理解し、証明の行間を埋める。歴史を学んで故人の生き様を感じる。脳みそだって筋トレするのだ。もくもくと。10回3セット。

 

 僕はきわめて怠惰な学生だが学生生活始まって以来筋トレはちゃんとやってきている。週三回。解析学微分積分の演習や集合位相、それと何冊かの小説。最近ベンチプレスとかデッドリフトが加わったけれど。ご存知の通り僕の頭は持論に凝り固まっていて岩屋の出口にコロップの栓を詰めるだけになりかけているが、まあ一応の筋トレはしてるんだ。こんなん単位関係ないだろう?別に単位取れない言い訳じゃねーけど!

 

 

 可哀想な山椒魚はもう頭が肥大化しすぎて自分の棲家から出られない。これは他人事ではなく、僕らだって油断したら山椒魚だ。自分の考えから出てくることができなくなってしまって、他人の言うことや助言に耳を傾けられない。そんな大人は身の回りにごまんといるだろう。彼ら山椒魚はもう手遅れなのだ。僕だっていずれは手遅れになる。きっとどんなに頑張っても年を取ったら肥大化を食い止めるのは難しい。だから今のうちに出来るだけスマートな脳みそにしておかないと。

 

 

 

 おそらく東大京大に入るためには頭の形がそれに即した形でないと難しいと思う。恐ろしくスマートな頭ならどっちも入りそうだが。なんであいつが落ちるの?と言われるくらい賢いのに京大に落ちてしまう人間が後を絶たないのは彼らが京大に適した脳みそしてないからだ。まあ京大に適した脳みその形がかっこいいものかどうかはわからない。あんまりいいもんじゃないかもしれない。僕の予想では星型。

 

 

 

 最後関係ない話挟まったけどこれで終わり。初めてのである調で一番困ったのは自称かな。。。。

クレオパトラか、カルメンか?

こんにちは。ゴリラに惜敗して英語ライティングの落単を確定させた者です。ちなみにゴリラ(正確にはGORILLA)は京大の英語教育推進プロジェクトの一環で、英語ライティング受講者に毎週オンラインで週1UNITずつリスニング課題が課される、というものです。厄介なのはその週のUNITはその週を過ぎてしまったら二度と受けられないこと、そして6UNIT以上やり残すと英語の単位が出ないことです。鳥頭で生活リズム弱者の私がこれをこなすことなど自明に不可能で、つい昨日6UNIT目をやり逃し、落単が確定しました。あ、落単確定で落胆したなんて古典的なシャレは言いませんよ。まあ実際落胆したんですけど。。。。

 

 

今日のテーマは魔性の女、ファムファタールです。ファムファタールは人名ではなく、男の運命を変えうる女、ときとして惑わしたぶらかす悪女を指す言葉です(おそらく)(文句はコメントまでお願いします)。たぶん本質的には男を惑わしうるほど魅力的な女性ってことなんかなと思います。そこに悪意があると悪女になるんじゃないですかね?

ぼくの知り合いにもその素質(片鱗?)がある女性が二人ほどいます。一人は悪女でもう一人はそうでもないです。二人ともに共通しているのは、どちらも目的の男性を振り向かせることに長けている点ですかね。この二人に限って言えば悪女のほうがその力は(格段に?)強い気がします。

 

悪女の方はそれはそれはなかなかにひどい女性です。男で遊んでますから。一般に男で遊ぶって言ったらたらし込んでとっかえひっかえするようなことを想像なさるかもしれませんが、彼女は男を振り向かせるまで、で遊んでます。アプローチして、迫っていって、向こうが振り向いてくれたら、それでおしまい。興味は冷めてしまうからそれ以降はその男性とは関わりを薄くするそうです。やられた男性としたら たまったもんじゃないですよね。でもそれが彼女なりの遊び方、だそうです。彼女には他にもいくつかその男癖の悪さをあらわすエピソードがあるんですけど一番きついのは今の彼氏の話ですかね。寝取ったそうです。その彼氏が15年付き合ってた恋人から。彼女は今20歳で今の彼氏さんは38(!)だそうですけど、末恐ろしい話ですよね。相手に恋人いたほうが寝取ったときの快感がパないじゃん。そんなことを仰ってました。彼女いわく男性がどんなことをしたら喜ぶかなんとなく判る、とのことです。…悪女たる素質を備えていらっしゃるご様子で。その素質はキャバクラで発揮してるんじゃないですかね。大学生のバイトの月収が25万ですからね。ぼくの部活で一番稼いでる人ですら9〜10万ですから相当でしょう。その分仕事はしんどいと愚痴をたれていましたが。

 

悪女でない方については特筆すべきエピソードはないんですけど彼女もそういう素質があります。その適用範囲は前述の悪女よりかは狭いのでしょうが。なにより教養高さがありますから。クレオパトラが男性を魅了したのは美貌ではなく聡さと教養高さであったとする説もあるくらいですし彼女はクレオパトラ型なんでしょう(?)。そうすると悪女のほうはさしあたりカルメン型ということになるんでしょうか?

 

 

 

この両者もそうなんですけど女性は親からの愛が充分な人のみ浮気しないのかなと思います。ぼくの経験則で。両親の仲が良く伸びやかに育てられた人は承認欲求低いのかなと感じます。たぶん親に愛されなかったから承認欲求が高いのではなく親に充分愛された人のみ低いんだと思います。うちの高校は親に寵愛を受けた地方のお嬢様がたくさん集まってることかと思うんですけどそのせいかSNSで自撮り晒す率他の高校のjkに比べて激低いですもの。まあそんなくだらんことで測れるモンなのかはわからないですけど一つの指標にはなってると思います。ついでにいうと浮気三昧の悪女さんは親が三回離婚してるせいで三姉妹の父親が全員違うそうです。ギャグ系ラノベかよ!と突っ込みたくなりますが、きっと父親の愛情が充分でなかったことは寝取りやたぶらかしを彼女の中に横行させた原因のひとつであると確信しています。

 

 

 

 

ぼくもそんなふうに好きな人をふりむかせてみたいものです。というか彼女ほしい。以上です💢

ヒアリ

どうも、ぼくです。最近忙しくてブログ書くモチベが下がっていました。忙しくて、が理由なのかはわかりません。筋トレしたり密会したりで生活がわりと充実してて精神的に安定だったからかもしれません。おそらく文章を上手く長く書くには精神の摩耗と多少の鬱が必要なのだと思います。必要かは解りませんが十分ではあるでしょう。少なくともぼくは精神的に満たされなくて寝られないほどつらいときのほうがおもしろくて読み応えのある(ぼくにしては、の話ですが)文章かけてる気がします。過去の偉大な作家だってみんな精神錯乱してるじゃないですか。たぶんそんなもんだと思いますよ。ストーリーのおもしろさを排したラノベが文章としておもしろくないのはおそらく書いてる作家が健康だからです。逆に健康じゃなきゃ健康な中高生に人気の出る文章かけませんからね。

 

 

今日話したいのは研究、それも基礎的でともしたら「なんのためにそんなこと必死に研究するの?」と嘲笑されてしまいそうな研究の大切さです。

ぼくの主張は「研究はいつ、どこで、どんな場面で役に立つかは分からない」ということです。これはぼくの特有の主張というよりかは科学をかじった者の総意みたいなものです。 

 

具体例を挙げると、例えば最近(つい昨日あたり)話題になっているヒアリの件ですかね。ヒアリ、という我々アリに詳しくない人間からしたらそこらへんのアリと大して変わらないようにみえるアリが外国からやってきて、これに噛まれると火傷のような痛みが走り腫れができ、最悪の場合死に至るそうです。

このヒアリ対策について、今日本のアリ専門家は総動員されているらしいです。それもそのはずですよね。ワンチャン人を殺し得るアリをほっとくわけにはいきませんから。ということでいま、アリの基礎研究という日常生活で全くなんの役にも立たなそうに見えた研究が(誇張して言えば)人の命を救うほど大いに役立っているわけです。

もうひとつ具体例を挙げると、一般相対性理論とリーマン幾何学の話があります。一般相対性理論は勿論アインシュタインによって構築された理論で、これはGPS機能などに応用され人々の役に立っています。GPS機能において一般相対性理論を使わないと、例えばカーナビは一日で数キロの誤差がでるそうです。ところがこの役に立っている理論の大元には元々何の役に立つのかよくわからなかった、アインシュタインの生まれる前に成立したリーマン幾何学の存在があります。リーマン幾何学は曲率が正、零、負の三通りの平面における幾何的な性質を考察する学問なのですが、そのうち曲率が零のものがぼくらに馴染みのあるユークリッド幾何学です。つまり我々が生活する上で曲率が零でない場合など存在しないので、リーマンは(おそらく)何かの役に立てようと思ってリーマン幾何学を立ち上げたわけではないと思われます。

以上述べたように、研究はいつどこで何の役に立つのか研究している本人にもわからないものだと思います。 リーマンだってたぶんビビってますよ。よもや自分のつくった幾何学が宇宙空間の記述に使われるなんて考えもしなかったはずです。

 

科学をしない人はすぐ「それってなんの役に立つの?」という質問をします。科学に素養のない人たちの間、殊に日本においては新しい元素を創り出した、とかアリの生態を徹底的に調べ尽くしています、とかそういう一見何の役にも立たなそうな研究を馬鹿にするような風潮があるように思われます。これはやはり彼らが無知なゆえ起こってしまう間違いだと思います。上に挙げた例と、これに類似する事が頻繁に起こることを知っていればそんな愚かな質問はしないはずです。そもそも役に立つ研究ってなんでしょうね。科学者は自分が好きでやっている人が多いので、科学者サイドからしたらなんで君ら無産市民のためにわざわざ研究をしなくちゃならんのだ、って感じですけどね。

 

おそらく日本の官僚は科学に無知です。「チョコレートで脳が若返る!」とかいういかにもインチキな研究をする明治株式会社にたっぷり予算を下ろし、逆に基礎研究をしている国公立大は(恐ろしいことに京大までもが)予算を削られています。これはおそらく基礎研究の大事さをよく分かってないからです。目先しか見えていないのですぐに成果の出そうなキャッチーな研究に金をつぎ込み、長期的にしか成果のでなさそうな基礎研究は軽視。こんなんで科学立国目指してるとか抜かしてますから本当に笑止ですよね。本当に科学立国を目指すならそういうわけわからん研究におろす金とか高齢者にかけてる金とか生活保護とかから最大限お金を引っ張ってきて国公立大に振りまくべきです。新潟大学にいる学生は日本の中でも優秀な部類に入るはずなのに、金なさ過ぎて教授が雇えず授業ができないため抽選落ちたら即留年の恐れとかいうアホみたいな状況なんですよ。頭悪いんですか。金かける場所間違えてるでしょ。なんで科学立国を目指しているのに先行きに未来のない老人と無産市民に金をたんまりかけて優秀な学生にはかけないんですか。官僚はもっと科学に関心をもってください。科学立国とか言うんなら。それが嫌なら科学立国諦めてください。現状維持くらいはしてほしいですけど。まあ何度も言うとおり別に成長することがいいこととは限らないので、任意の国民が暮らしやすい国、という観点でみたら生活保護も高齢者厚生も非常に重要で軽視してはいけないんです。もちろん上の議論はもし科学立国を目指すなら、という話です。アメリカでは、日本では生活保護もらって生きるような人間や高齢者は軽視され社会福祉も散々な分科学に莫大な金をかけています。したがって優秀でない人間や高齢者などには非常に暮らしづらい環境ですがその対価として優秀な人間は世界でもトップクラスに優秀で、科学先進国です。これがいいこととはわかりません。ぼくはあまりいいことではないと思います。さすがにぼくも風邪引いただけで5000円とられるところに住みたくないですから。ただその科学への前向きな姿勢は非常にかっこいいと思います。

 

 

最後はよくわからん愚痴になってしまいましたがとりあえず以上です。どうでもいいですけど和菓子屋でバイトすることになりました。

one's nature

こんにちは。毎週火曜午前部活のやつを誘ってトレーニングルームに行っているのですが絶起しなかった試しがない入山です。

最近絶望の起床が多すぎて絶望のハードルが上がってしまい単なる寝坊では絶望を感じなくなってきました。具体的には一限開始20分前に起きてもあんまり絶望しません。慣れと適応って怖いですね。

一限開始n分前に起きたときnの値の範囲に依って行動に場合分け生じてますから何分前に起きても一限ギリギリ間に合う時間に大学着くんですよ。下手に早起きすると掃除したり米炊いたりしちゃって結局時間ギリギリになるんですよね。だから最近は積極的に二度寝しています。この二度寝は度々悲劇を招いているんですがそれはまた別の話。 

 

 

今日の本題はつまるところぼくの性癖の話です。といっても「俺上原亜衣みたいな体型がどストライクなんだよね〜」のような軽いノリの下ネタではないです。もっと暗くて深層的な部分の好みです。心の底から興奮を覚えるみたいな。

2つ話しますがこのふたつは非常に異質です。一つはそれこそnatureの話でぼくの性質のひとつです。もう一つはある体験です。

 

先ず性質についての話をします。これは簡潔に言えば「自分より格上の人が好き」ってことです。この格上という言葉はわりと意味が広いです。経験豊富とか頭が良いとか色々です。年上とかも含まれます。広義年上好きとでも言えばいいでしょうか?

ぼくは自分に自信がないので自分より上の人にかわいがってほしい的なアレです。年上好きと言っても同い年は自明に大丈夫です。逆に同い年NGの人いるんですかね?同い年、っていくつかある好みのなかの自明な解だと思ってます。まあ好みが線形独立かは知らないですけど。

 

もうひとつの方はあれです。小学一年生のころに高速道路のPAで車内のラジオで聞いていた道路交通情報の案内聞いててめちゃくちゃ興奮したって話です。これだけ書くと狂った変態ですね。いや違うんですよ。正確にはその案内を喋っていた女性の無機質で淡々とした語り口が非常に心地よかったという話です。ただ心地よさの具合が突き抜けていました。脳みそ直接なでられてるような不思議な気持でした。なんでそんなに興奮したのかよく覚えてないですけど。ここまで書いてて思ったんですけどぼく相当頭イッてますかね?????????

 

 

あんまり性癖語るのうまくないですねぼく。数学のほうがよく語れましたね。まああんまりベラベラしゃべるもんでもないですしね。

今回の気付きは次回予告してしまうと書くモチベーションがだだ下がりするってことです。次からはそのとき思ったことだけを書きます。よろしくお願いします。

nature

こんにちは。ぼくです。基礎論をする者です。

 

基礎論はぼくが大学でもっとも勉強したかったものなので、これを一回生のうちから学べることに感動しています。さすがは京大理学部です。この自由さを求めて京大来たようなもんなんで。京大理学部では自主ゼミといって、自分の読みたいscienceの本などを読んで勉強するために人を募って学生が自主的に行うゼミが盛んに開催されている(ぼくもキューネンという人の本を読む基礎論の自主ゼミに参加しています)のですが、東大にはあまりそういった自主的にゼミを行うような文化がないらしいですね。

そのへんの自由度の違いはぼくが東大ではなく京大を選んだ理由でもあります。まあ京大のほうが圧倒的に下なのであまり偉そうなことなんて言えませんけど。 

 

 

基礎論はといえばようやく数をかぞえられるようになりました。数を数えるって大変ですよ。まず数って何?という話からはじまります。科学において○○って何?といったらまず定義の話です。数は集合の濃度で定義します。例えば1は要素が一つの集合、というように定義します。ここで問題になるのは集合って存在するんか?という話です。これは全然自明の話ではないので、集合が存在するように公理を選びます。まず空集合をつくります。このとき存在性と一意性を示さねばなりませんがそこまで難しくありません。存在性、一意性それぞれを保証する公理を別々にもってくるだけです。次にまた別の公理をもってきて0,1,2までを数えられるようにします。ここが意外と大変です。具体的には順序対をとれる公理、というものを引っ張ってくるんですけどね。ここまできたらあとは簡単(?)で、和集合をもってこれる、という公理を用いて3,4,5,…を一気に定義します。これでめでたく数を数えられるようになったわけです。

だがしかし油断してはいけません。このままでは超越的な順序数(任意の自然数より大きな自然数がつくれてしまい、そっちでも1,2,…という風に順序が定義されてしまう)が生成されてしまいます。これを防ぐこともできるらしいのですがそこまではまだ勉強が至っておりません。モデル理論を使うそうです。

 

 

 

タイトルの言わんとする事柄は「英単語の和訳ってむずくね?」という話です。

ぼくはいまだにrandom,simple,natureなどの英単語をニュアンスをまったく失うことなく翻訳することができていません。できる人いるんですかね?

単語帳にはrandom:無作為な、と書いてありますがおそらくこれはrandomを翻訳できなかったために明治の知識人が造り出した造語です。根拠のない推量ですが。ただ無作為、という言葉も完璧でないように思われます。random、というのは恐ろしいまでに自然で、対称性や偶然性を有している真に人の手の加えられていない完璧なまでの無秩序を表象した言葉であると考えています。まあrandomに当てる訳語を考えておかないと困るから無作為という言葉を当てたんだと思いますが、これでは偶然性や対称性が無視されているような気がしてなりません。ここで言う対称性はシンメトリーとは少し違います。ぼくの日本語が下手くそで恐縮なんですけど、一様等方とでもいえばいいのでしょうか、「ある一つだけが特殊な動きをするはずがない」という話です。例えば大量の気体分子の運動です。人が手を加えない限りある一つの分子だけがヘンな動きをするなんてありえないじゃないですか?そういう感じです。

simpleについても同様で、まったく混じり気ないそのもの、という概念を表す日本語ないですかね?単純な、という訳で済むほど単純な話ではないような気がします。単純よりもっと純度が高そうです。単純という言葉では精度荒くないですかね??至極、とか極めて、とかいった修飾が必要な気がしてなりません。しょせん試験の答案は月並みな言葉でごまかしましたが。日本の英語試験なんてそんなもんでしょう。preciseとexactとstrictの差なんて教わらないですから。論文を英語で書く意義は誰にでも読んでもらえることと科学特有の概念を正しく伝えられることにあると思います。日本語は科学にはあんまり向いてない気がします。そもそも日本国は科学に向いておりません!このことはいずれひとつの記事でまとめると思います。一言で言ってしまえば早慶エスカレーターで科学に素養のない文系が国のトップにのさぼり、無産市民には生活保護を与えるくせに博士課程の学生の大半は一銭ももらえない、ということです。まあ科学の成長が国にとって良いことかはわかりませんが科学者の待遇という観点からしたら日本は北朝鮮以下の発展途上国です。ぼくは国への向上心などないので自分の好きな勉強をできる範囲で一生懸命できたらいいなとしか思いませんが。…

 

まあnatureが一番難しくて、これはまじで日本語すら当てられていません。なんだよ生来備わっている性質って。ここにも日本語当てといてくれよ知識人。性癖って言葉の元来の意味がnatureに近いのかなあと思いますが性癖というと性的嗜好の偏りみたいなニュアンスで受け取られがちなので難しいですね。というかむしろ性癖は性的嗜好を表す言葉にしましょう。逆に性的嗜好の個人個人による偏りの差みたいなものを表現できる言葉もなくないですか?性癖って言葉の漢字もちょっとえっちですからね(?)

 

 

 

というわけで次回はぼくの嗜好の話しようかと思います。丸一記事使うつもりなので読み飛ばして頂いて構わないです。むしろあんまり読んでほしくないです。じゃあなんで書くんだって話ですけど。いやちょっとでも共感していただける人がいればなあと思って書くんですよ。

 

 

 

以上です。

 

 

 

 

 

ぽやしみ〜

こんにちは。初のゼミ発表を終え軽い放心状態です。ゼミ楽しかったですよ。話しすぎて10分オーバーしちゃいましたけど。十分延長は十分じゃなかった(爆笑)のでまだ喋りたいこと語り尽くせてはいないです。意外とぼくおしゃべりなんですかね?そんなことはないか。昨日一昨日の進捗が目覚ましかっただけですね。

 

タイトルはつまり語彙力のなさを嘆いてるわけです。最近文学作品に触れる機会がめっきり減ってしまい新しい語彙が入ってこないせいですね。この三ヶ月遊び倒した分の時間を読書に当てようかなと思います。三島由紀夫読みたいですね。坂口安吾は読みたいですけど安吾読んだところで語彙力そこまでつかないんですよ。曰く文章の装飾が嫌いで最低限の言葉しか使わない(英文のように同値な言い換えをしない)ので。したがって安吾読んでるとたまに読みづらさを感じます。そこだけは安吾に賛成できない部分で、文章は可能な限り同じ意味で言葉を置き換えていくべきであると思います(今も"同値な言い換え"を同値に言い換えたんですよ)。勿論村上春樹みたいな過度のレトリックは(書くときの文体としては)あんまり好きじゃないですけど。

あ、村上春樹は好きですよ。ただあれはぼくのような青二才では完璧には楽しめないような気がします。訳本ですが「ライ麦畑でつかまえて」は本当に何言いたいのかよくわかんなかったです。ただぼくは同書の主人公よりはクズじゃないのはわかります。もうちょい意志つよいです。

 

小説が読みたい純文学に触れたいと口は言いながらも体は正直でいま現在数学をしております。数学の誘惑に勝ててません。東大出版が良書揃いすぎるのも一つの原因かなあと。東大コンプ(爆笑)なので東大出版で取り揃えています。京大は京大出版の数学の本はないんです。不思議なことに。物理とかはあるんですけどね。森重文とか書いてくれても良かったんじゃないですかね?おい○海高校!

 

 

ここまで書いてきて思ったんですけどひとつのテーマについてずらっと言説を並べるの非常に大変なことじゃないですか?まあぼくは誰かに主張したくて文を書いているわけではないのでいいんですけど。何か書きたいことが現れたときにちゃんとかける自信あんまないですね。むしろ日本語の文章の強みはだらだら書いてもひとつのpassageとしてまとまってくれることだと思ってるので、随筆形式のままが一番ラクだなあと思います。英語は段落キッチリしてますからね〜。ゆえにぼくも説得力ある文が書きたいときはおそらく英語流の段落の使い方をすると思います。いまもはや段落とかいう概念無視して書いてますからね。読んでくださってる方がもしいたら本当にご迷惑をおかけして申し訳ございません。

 

 

少し短い気もしますが以上とします。書きたいことを書くだけなので三日坊主上等の心構えでございます。それでは失礼します。