努力は輝かしい…?

受験が終わってから、合否が出てから、大学生活がスタートしてから、ずっと考え続けている命題です。「果たして努力は輝かしく褒められるべき、他人に誇れるシロモノなのか?」

 

ぼくは褒められるべきだが誇るものではない、という結論を出しました。ありきたりですが。散々逆説を弄すだとか言っておいて凡庸な結論ですいませんね。わざわざ意見をねじ曲げてまで逆説を弄すのはつまらないと思いませんか?そういう愚直さ、安直さキライなんですよね。その意味で言うと、ただ単にグロテスクにしただけだったり虫をたくさん登場させたり…で狂気を表現するB級ホラーも嫌いです。あからさまでこれみよがしな皮肉も嫌いです。狂気はもっと静かでなくてはならないと思います。きっと誰もに伝わるだろう例としては舞姫のエリスのラストシーンとかですかね。もっと狂っているのは太田豊太郎のような気もしなくもないですが。あと三島由紀夫の「美神」の死にかけの爺さんとかですか。教科書に出てくるような例ばかりで申し訳ないです。

 

脱線してしまったので本題に戻りたいと思います。科学者はとかく脱線しがちなんですよね。…とまた脱線しかけましたが。 

 

努力は褒められるべき、ということについて述べたいと思います。こちらは本当に一般論そのままなんだと思われますが努力した人間あるいは努力する力のある人間は実際強いです。ぼく自身受験を経て強くなったと思います。思考力や与えられたタスクをこなす力など。だったら朝ちゃんと起きて授業キッチリ出ろやって話なんですけどね!まあその話は置いておいて、実際ぼくが強くなった通り根性を鍛え辛抱強くなるためには努力が必要で、かつ努力すれば根性は身につくかと思われます。いわゆる必要十分条件です。根性や辛抱強さは仕事などで役に立つので褒められるべき能力で、したがってそれと必要十分な努力も褒められるべきです。また詳しくは後述しますが努力できる、ということは決して自明の話ではありません。誰でも気の持ちようで努力できる、努力できないやつは自分に甘いたるんだ人間だ、なんて到底言うことはできません。その観点からしても努力できるだけでも素晴らしいことなので、努力は褒められるべきであると考えられます。

一方で努力は誇るべきモノではない、というのはどういうことでしょうか。正確には他人には、という意味ですけども。前述の通り努力は褒められるに値するので自身の内には自身の努力への矜持は持つべきものであると思います。では他人に誇ってはいけないとはどういうことか?理由は至極簡単で、努力は自分の意志や思いだけでは出来ないからです。努力するにはまず何より充分な才能と環境が不可欠です。これは必要条件であって十分条件ではありません。すなわち、努力には才能と環境が必要だがそれだけでは努力はできないということです。努力の継続の原動力となるのは達成感ですが、達成感を得るためには目標を達成せねばなりません。目標を達成するには自らの能力を高めなければならないわけですが、ここで才能と環境の障害にぶち当たります。まず才能がなければいくら練習したって上手くなりません。ぼくは陸上競技で強くなりたくて一生懸命努力しましたがまったく報われませんでした。最後の最後まで記録なんてほとんど伸びませんでしたから。同じことをしていた同期は伸びているので努力の仕方はそこまで外れてはいなかったはずなのに。これはおそらく才能不足であったからです。陸上競技が伸びなかったのは努力不足が原因ですが、努力を欠けさせた要因の一つ才能の不足も挙げられるかと思われます。もちろん理由の大半はぼくが弱い人間であったということです。

それに加えて環境の話もあります。これは陸上競技から離れて勉強の話になるんですけど、物理が大の苦手でまったく物理を勉強しなかったぼくは苑田宣教師に逢った高2夏以降物理を真面目に勉強するようになり、成績もめきめき伸びはじめました。これは、ぼくは意志が弱くて物理を勉強できなかったわけではなく、環境に問題があったことを示しています(入山の意志はそもそも弱いことには触れないでおきます)。

上の体験を通しぼくは努力には才能と環境が不可欠なのだと思うのですが、この2つの事柄、殊に環境に関しては自分の力ではどうしようもないものです。環境は周りのサポート有ってはじめて整えられるものです。努力する環境が整備してくれる人のはたいてい親だと思いますし、まわりの同期や先輩後輩との巡り合わせもあると思います。したがって努力できるのは決して意志だけの問題ではなく、その人がどれだけ恵まれているかということも重要になってくるのです。ここまでくると、努力はそもそもまず周りに恵まれているからこそできるということを忘れてさも自分の手柄かのように、鬼の首を獲ったのは俺だと言わんばかりに周りにみせつける行為は愚かなものであるとわかるでしょう。実際鬼にダメージを蓄積してくれ、首を獲る手助けをしてくれた仲間のことを忘れてしまっているのです。

 

 

 

 

というわけでぼくはあまり学歴や能力を誇示しないように努めています。もちろん誇示する能力なんてほとほとないのは承知ですが。

ことわざにもあるじゃないですか、「能ある鷹は爪を隠す」と。これは対偶をとれば真であることがすぐにわかります。「爪を隠さない鷹は能がない」というわけです。自分の力や地位を過度に見せびらかすやつなんて、大したやつじゃあないんです。ぼくは人間的に駄目なので、某掲示板で煽られたときは学歴で殴りに行きかけましたが。一発くらい殴ってる気もします。まあたまには学歴で殴るの許してほしいですよね(?)

 

 

ぼくはほんの微小に、有効数字三桁でようやく引っかかる程度の小ささではありますがクロスカントリーは才能がわずかにあるんじゃないかと思うので努力を重ねていきたいですね。周りには自分より遥かに上手いライバルがごろごろといて、環境としても悪くはないかなあと。ローラー練する場所ないのがきつい、くらいです。精進したいですね。

全然話違うんですけど駿茶は勉強する環境としてかなり上位だと思うんで努力を怠らないでくださいね。一浪は現役だと思って頑張りましょう。入試結果において浪人も現役も差はほとんど無いです。つまりは浪人生は夏〜秋ごろまでには受かる実力(またはそれに準ずる程度)身につけていないとちょっとしんどい戦いになるんじゃないかと思います。そこで油断してもいけないですしね。浪人は本当にメンタルが強くないとやっていけなさそうで、浪人生はすごいと思います。努力する力は間違いなく浪人を経た人間のほうが強いのではないでしょうか?

 

全然関係ないんですけど京大自習室はちょっとくさいです。現場からは以上です。