蛙、山椒魚

 井の中の蛙大海を知らず。

 井戸から出てこない蛙は外の世界を全く知らないので自分が一番だと思い込み、狭い世界で威張り散らしている様を揶揄した諺だ。

 あなたはこの諺の蛙を馬鹿だと考えるだろうか?外に自分より強い奴がたくさんいるのを知らないで自分の強さを過信する蛙を愚かだと見下すだろうか。

 

 もしそうなら考えを改めた方がいいかもしれない。あなただって井の中に囚われているかもしれないから。考えの狭まった人は往々にして他人を蔑む。賢いと自分で考えている人ほど無知をけなす。他人を見下すのはずばり自分が優位だと潜在的に考えているからであり、それは自分が狭い世界で弱い者に目を向けすぎている証拠に他ならないからだ。謙虚になるのは非常に難しく僕だって驕り高ぶっている自覚は多分にある。僕らは蛙を蔑む前に自らがその蛙である可能性を常に頭に留めなくてはならないのだ。

 

 

 その意味で、自分を広い海に放ってくれる学問は素晴らしく有意義な営みに思われる。学問において先人の偉大な知恵を取り込み、咀嚼し、自分のモノにする過程で僕らは大海に放り投げられる。先人に較べ自分はなんて間抜けで醜いものか!自分には到底書けそうにない文を読んだときや突拍子もない発想を下敷きに書かれた証明に面食らった記憶は多かれ少なかれあることだろう。そういった偉人の存在や彼らの遺した知識を学び、それを自分のものにする最中で僕らは真に強く賢くなるのだ。

 この過程を省いたり怠けたりするとどうなるか。僕は、これをさぼった者はその頭が肥大化すると考える。自分の持論が頭の中で育ちすぎ、肥え太って井の外へ出るのを邪魔すると思う。これはむしろ学問によってのみ頭の肥大化を食い止められると言ったほうが正確かもしれない。大体持論に溺れているのは楽しく心地よいものなので、世の万物が安定な方向へ向かっていくように僕らの頭は放っておくと肥大化する。そうなるともう僕らは抜け出せない。或る山椒魚は二年ほど岩屋でくつろいでいたせいで頭が肥え太ってしまって岩屋から抜け出せなくなってしまい、狭い岩屋に閉じ込められ鬱々とした日々を送るうちに性格が醜く歪んで言ったという。いくらその岩屋の居心地が良いからと言って、いつまでもそこで怠けていたら取り返しのつかないことになるのだ。

 

 それでは肥大化しそうな脳みそをどうやってダイエットしようか?間違っても食事を減らして減量しようなどと早とちりしてはいけない。何も考えないようにすれば確かに肥大化は防げるかもしれないが頭が豆粒ほどしかない鳥人間になってしまう。これはいけない。しっかり筋トレしてスマートな体型(脳型?)にしなくてはいけない。この筋トレに当たるのが学問だと僕は考えている。本を読む。定理の証明を理解し、証明の行間を埋める。歴史を学んで故人の生き様を感じる。脳みそだって筋トレするのだ。もくもくと。10回3セット。

 

 僕はきわめて怠惰な学生だが学生生活始まって以来筋トレはちゃんとやってきている。週三回。解析学微分積分の演習や集合位相、それと何冊かの小説。最近ベンチプレスとかデッドリフトが加わったけれど。ご存知の通り僕の頭は持論に凝り固まっていて岩屋の出口にコロップの栓を詰めるだけになりかけているが、まあ一応の筋トレはしてるんだ。こんなん単位関係ないだろう?別に単位取れない言い訳じゃねーけど!

 

 

 可哀想な山椒魚はもう頭が肥大化しすぎて自分の棲家から出られない。これは他人事ではなく、僕らだって油断したら山椒魚だ。自分の考えから出てくることができなくなってしまって、他人の言うことや助言に耳を傾けられない。そんな大人は身の回りにごまんといるだろう。彼ら山椒魚はもう手遅れなのだ。僕だっていずれは手遅れになる。きっとどんなに頑張っても年を取ったら肥大化を食い止めるのは難しい。だから今のうちに出来るだけスマートな脳みそにしておかないと。

 

 

 

 おそらく東大京大に入るためには頭の形がそれに即した形でないと難しいと思う。恐ろしくスマートな頭ならどっちも入りそうだが。なんであいつが落ちるの?と言われるくらい賢いのに京大に落ちてしまう人間が後を絶たないのは彼らが京大に適した脳みそしてないからだ。まあ京大に適した脳みその形がかっこいいものかどうかはわからない。あんまりいいもんじゃないかもしれない。僕の予想では星型。

 

 

 

 最後関係ない話挟まったけどこれで終わり。初めてのである調で一番困ったのは自称かな。。。。